千利休の茶会に学ぶ“素に戻る時間”の哲学を、現代の季節の茶会の記録と重ねながら綴ります。
人との距離感や境界線の美学を、静謐な空間の中で見つめ直すエッセイです。
季節ごとの茶会
季節の茶会をとても楽しみにしています。
そこには中国茶の先生を囲んでいつも同じメンバーが集うのですが、プライベートでの交流はほとんどなく、その時だけ顔を合わせるお茶友達です。
季節ごとに先生が3~4種類のお茶と点心などのおやつを用意してくださり、お茶の生い立ちを紹介後、1種類ずつ丁寧に淹れてくださいます。
その所作を私たちはじっと見守って、茶葉が開く様子を観察したり、ふわっと空間に広がる茶葉の香りを楽しみ、口に運んでおいしいと言う。
それだけのことなのに、なぜかとても心地よく、毎回楽しみにしてしまうのです。
どうしてこんなに楽しみにしているのだろうとふと思ったことはあるのですが、深く考えようとはしていませんでした。
折しも最近、人との境界線について考える機会があり、その時、自分がこんなにも楽しみにしている理由に気づいたのです。
会話が目的ではなく、感性の共有が目的
茶会は先生のお店で行われるのですが、そこには過度に装飾された物がない。
茶器やお茶、高価なものもあるけれど、それらは空間と調和されていて、あるべきものがあるべきところに自己主張せずに静かに置かれてある。
そして茶会の目的が、近況報告などのおしゃべりではなくお茶を楽しむことだから、言葉が自然に整う。
プライベートで交流のない人たちというのもあり、無理に踏み込まない関係性が保たれていて、
そこは人間関係の濃度がちょうどよく、誰かの私生活や主義が場を支配しないのです。
空気を読んで同調したり、無理に話をあわせたりしなくてもよい、素の自分のままで、ただお茶を楽しむだけでよい空間なのです。
歴史の中のお茶会の謎
千利休や小堀遠州、歴史の中の茶人、茶室、茶会について考えるとき、どこがそんなに魅力的だったんだろうと思うことがありました。
お茶といえば、現代ではアフタヌーンティーに象徴されるように三段重ねのお皿に飾られた色とりどりのスイーツ、
優美なカップに琥珀色の紅茶を注いで優雅に味わい、友人らとおしゃべりしながら飲むのが楽しいでしょうにと思っていたのです。
飾り気のない質素な狭い茶室で、静かに緑色の液体をすするだけ。
それのどこがそんなに楽しいのだろうと思っていたのです。
まして身分の高い男性、現代でいったらバリバリ働いてたエリートたちがそのようなことをしていたのですから、
これについてはずっと不思議に思っていました。
千利休と豊臣秀吉
千利休は堺の豪商の出身で、当初は織田信長に仕え、茶会を支える茶頭の一人でした。
この頃から茶の湯は政治と密着した儀礼となり利休も権力を持つようになっていきます。
裕福な家の出で高価な茶道具でお茶を淹れ、優雅な生活をおくっていたように見えます。
信長が本能寺の変で退いた後は秀吉に仕え、茶頭の一人としてさらに権力を増して諸大名も頭が上がらないほどとなります。
派手好きの秀吉は「黄金の茶室」を作ります。
三畳間の柱はすべて金貼り、茶道具も金だったそう。
一方、利休の理念は秀吉とは少し違っていたようです。
利休の言葉を書き残した南方録には次のように書かれています。
「家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也。是れ仏の教え、茶の湯の本意也」
この両者の理念の齟齬が、のちに利休が秀吉に切腹を命じられるという悲劇を生んだとされています。
どうしてお金も権力もあった利休がこのような理念を持ったのか--。
茶会の魅力
利休がどう思っていたのかは今は確かめるすべもありませんのであくまでも予想ですが、
いくらお金があっても、いくら強大な権力を持ったとしても、やっぱり人間は素の自分に戻る時間が必要なのだと思います。
それはお金や権力を持てば持つほど難しいものなのかなとも思います。
自分より貧しかった秀吉が、自らの努力で富と権力を手に入れ、華美な茶室や茶道具をひけらかす様子を利休はどう見ていたのかな。
それは素の秀吉だったのか――。
利休の目には、秀吉の華美な振る舞いが“素”ではなく、何かを覆い隠すものに見えたのかもしれない。
小さな質素な茶室-そこには見栄や雑然とした人間関係がない必要なものだけが置かれる空間。
そこでお茶を丁寧に淹れてもてなす。
そこでは身分の高低も権力の有無もなくて、一人の人間と人間がありのままで向き合う。
身分の高低や権力の影響が強かった時代にはそれは一番の贅沢で、エリートであればあるほど欲した時間だったのかもしれません。
茶人の極み ― 利休、最期のもてなし
岡倉天心の記した「茶の本」には利休の最後について記されています。
利休は秀吉に仕えた茶頭であり、秀吉はその茶の湯の技と精神を深く尊敬していたと伝えられています。
利休は権力に媚びることなく、時に秀吉に意見することもありました。
一時の二人の関係の冷えた期間を利用して、利休に敵対する者たちが毒殺の陰謀をでっち上げ、処刑の口実とされたのです。
最後の日、利休は主要な弟子たちを最後の茶の湯に招待します。
待合に集まった弟子たちのもとへ、かすかな茶の香りが波のように漂ってくる。
茶室からの合図に従い、一人ずつ静かに席へと進む。
茶が順に振る舞われ、誰も言葉を発することなく、ただ静かに口に運ぶ。
最後に、利休が自ら茶を口にします
定められた作法に従って、弟子たちは茶器を拝見させてもらうよう求めます。
利休はそれらを一つずつ、一人一人に形見の品として贈ります。
そして、手にしていた茶碗だけが残る。
「不運な者の唇によって汚されたこの茶碗だけは、二度と誰かに使われることがあってはならない」
そういって利休はその茶碗を粉々に砕いてしまいます。
茶の湯のひとときが、静かに幕を閉じます
そして弟子たちは最後の別れを告げ、最後を見届ける最も親しかった一人を残して部屋を出ていきます。
最後に残された茶碗を砕いた利休は、静かに座し、短刀を見つめます。
そして、最後の言葉を。
「よくぞ我が前に現れた永遠なるこの宝剣よ
仏陀を貫き、達磨までを導いてきた剣よ
今度は同じように私を貫き、お前の道を貫くがいい」
最期の茶会においても、利休は誰かを飾ることなく、誰かに媚びることなく、ただ茶の湯の美を差し出した。
その姿こそ、茶人の完成形だったのだと思う。
優れた茶人とは
高価なお茶を高価な茶器で優雅に入れるだけでは優れた茶人とは言えない。
無駄なものを省いて人間がありのままでいられる空間を作り、丁寧にお茶を淹れ、素に戻って楽しむ時間を提供する。
その空間に身を置いた人が、ふと自分に戻れるような、
そんな時間を差し出せる人、そんな人を優れた茶人というのかもしれません。



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